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 moji


 このみをよろしく。このみの彼にあったら絶対に言おうと心に決めている一言だ。なかば自棄といってもいい。どれほど無意味で空しい抵抗だと分かっていても、私のほうからよろしくとお願いすることでせめて少しでも優位に立てればと思ってしまう。
 明日わこちゃんにも紹介するね。喜色満面で切り出したこのみに私は怒りを禁じえなかった。それがいかに理不尽で一方的かということは十分心得ている。
 高校一年生。私が持っているこのみの彼についての具体的な情報のすべてだ。いきなりそんな人に会ってくれと言われたところで期待が生まれるわけがない。腹の中で固まっているのは嫉妬と怒りをはじめ汚い感情の数々と紙の上の人物に会うような現実味のなさだ。
 いらっしゃいませ。店員の元気溌溂な声が響いた。入り口に目をやるとそこにはまさに私の待ち人。私は立ち上がりこのみに軽く手を振った。
 駆け寄ってきたこのみととなりの彼に着席を促す。定番の他愛ないやり取りを一通り終えたあと、彼は不意に恥ずかしそうな顔をして私と正面から目を合わせてきた。気に食わないことに私のことをもう下の名前で呼んでいる。なんですか。仮にも相手は年上なのでいちおう敬語で尋ねた。
「あの、わこさんこのみとすごく仲良いみたいだけど」
 そこで一度言葉を切る。彼の次の発言に対して私が取った行動を先に述べておこう。
 目の前が真っ暗になった。何もかもが今まで以上に気に食わなくなった私はトイレに行くと告げ席を立ち、そのまま喫茶店を出た。道路に転がっていたペットボトルを思い切り踏み潰してから強く蹴り付ける。全身を黒く染め上げていく圧倒的な敗北感。空いた足で電信柱に当たる私が抱えていたのは、あるいは殺意だったかもしれない。
 彼は幸せそうな顔でこのみと目を合わせてから私を向き直ると、あろうことかこう言い放ったのだ。
「これからも、このみのことよろしくね」
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 moji

<好きです、明日からは友達じゃないよ。

…エイプリルフールなので、嘘のメールを書いてみました。>

どっち?!
今日は眠れそうにない。


 moji


 アズサ先輩の部屋に呼ばれた。軽音部の先輩でわたしの憧れのひと。他学年の寮室に立ち入るのは禁じられているけど、そんな規則は破られるためにあるようなものだ。
 同室の子が法事でいないのよね。先輩がそう口にしたとき私は物欲しそうにしていたのかもしれない。先輩は微笑み持ち前の優しい声で、よかったら今日泊りに来ない、と言った。わたしは最初その言葉が自分に向けられていることがどうしても信じられず、まわりに誰もいないことに気付くやいなや我知らず大声で叫んでいた。いいんですか。先輩は息を呑み、私は言い知れぬ恥ずかしさに包まれた。ぜひどうぞ、と愉快そうな顔をする先輩を見て、わたしは人生切ってのと表現しても差し支えないほどの喜びを噛み締めていた。
 自分の顔がだらしなくゆるんでいる事に気付き慌てて首を振る。もっと可愛い表情で先輩に会わなくては。わたしは鏡を取り出しにっこりと顔を綻ばせてから、大きく深呼吸をして先輩の部屋の扉をノックした。
「こんばんは、お邪魔します」


 いいかげんなことを言って、夜中だと言うのに部屋を出てきてしまった。わたしはもうアズサ先輩の顔をまともに見ることは出来ないだろう。
 自分は先輩に恋をしていると、本気で思っていた。だから部屋に呼ばれてわくわくするだけじゃなくどきどきもした。でもそれは結局女子校という場に浮かされ、騙されていただけなのだと思い知った。
 先輩の指が、舌が、肌が触れた感触を思い出すたび虫酸が走る。「いい?」と真顔で尋ねてきた先輩にわたしは迷わず首を縦に振った。先輩となら構わないと甘いことを考えた。
 初めて覚えた性の興奮の先でわたしを待ち受けていたのは手酷い後悔だった。快感が体の芯を突き抜け去ると、心地よい疲労感と共に気味の悪さが体中に広がっていった。今まで慕っていた先輩が汚らわしいものにしか見えなくなる。わたしは呆気に取られる先輩を無視してパジャマを着直し適当な言い訳で自室に戻ることを告げた。皮膚が引きつっているのが自分でも分かった。
 先輩は全部見抜いていたんじゃないかと思う。私の恋心がまやかしであること、いちど肌を合わせてしまえば私がそれに気付くことを。その裏付けとなるのか分からないけど、先輩はキスはしてこなかった。
 moji


 教室の中を飛び交う声、声、声。頭上を流れていくたくさんの言葉の中に、一つだけ私の耳に引っ掛かるものがあった。
 3ヶ月前に図書館で借りた小説の題名。中一女子の間では滅多に無い本の話が出るってことはあの小説はそんなに人気があるのだろうか。私は正直あまり面白いと思えなかった。というより、つまらなかった。無意味に見える改行は多いし会話には脈絡がないし。
「え、さぁこもあれ読んだの?」
「うん、友達が貸してくれて」
 心臓の鼓動が速くなるのがわかった。さぁこと呼ばれたクラスメイト、谷屋さえこちゃん。彼女はあの本を読んでどう思ったのだろう。恐らく次はその話題になるだろうと踏んで無意識に身構えていた。
「面白いよねあれ、さぁこはどうだった?」
 さえこちゃんは少し困ったようにうーんと笑った。そうだなああたしはねえ、と柔らかい口調で前置きしてから、
「いまいちだったかな。文が読みにくくて、最後まで読めなかった」
 と控えめな感想を述べた。周りにいた子はえーまじで、とか嘘でしょ、とか驚いたように口にしている。
 人間って、同じものを好きより同じものを嫌いって方が仲間意識を強く持てるものなんだろうか。些細な、ほんとうに取るに足らないことなのに、私は密かに憧れている子とのささやかな共通点を見つけてしばらくの間しあわせに浸ることができた。
 moji


< お金と寿命と他人以外で、あなたなら何が一番ほしい?>
 中学生だから? 女子校だから? 私の周りではしばしば変な質問やら二択やらが流行る。誰といても一瞬で共通の話題を作れるのは好都合だから、みんないつも話題に上せて適当に流す。私もそれに倣っているけど、今回だけは違った。
(あのひとがほしい)
 他人が選択肢から除かれているのが巧妙だ、と思った。初めて、質問を始めた人のことが気になった。

「あ、早川さん」
 背後から名前を呼ばれて、その声に私は度肝を抜かれた。振り返る零コンマ何秒かの間に、頭の中ではひとつの疑問が弾けて四方八方に散らばる。
「一時間目、教室移動になったから。化学室。遅れないでね」
 恐らく凄い顔をして無言で振り向いた私に、賀来さんはあくまでも義務的な口調で言った。私はあまりにも動揺しすぎて、賀来さんがこちらに背を向けてもなお、声を発することも瞬き一つさえも出来ずにただ突っ立っていた。
(このままじゃ、絶対後悔する!)
 そして正気に戻ったのかは自分でも分からない。とにかくこれはチャンスだ、絶対にものにしなければ、と根拠のない感情に突き動かされた私は何も考えずに口を開いていた。
「賀来さんっ」
 賀来さんはぴたっと足を止めて怪訝そうな顔を見せた。なにー、と返ってきた快活な声を聞いて、私は感慨に浸らずにいられない。
「あ、ありがとう、わざわざ伝えてくれて!」
 少しどもったけど、それは全身で感じている緊張の大きさに比べたら取り立てていうこともなかった。賀来さんはきょとんとして、それから、
「どういたしまして」
 と無邪気に笑って右手を上げ、朝の光を跳ね返す廊下の中を走り去っていった。
 口の中が爽やかなもので満たされている感じがした。心の中では何度と唱えたか分からない名前だけど、本人を前にして実際に口に出すのはたったの二回目だ。きれいなきれいなあの人の姓氏。
 それから私は一気に緊張が抜けて、傍を行き交う人達の不審そうな視線を浴びながらその場にしゃがみこんだ。そして賀来さんの言葉を何度もリフレインしたにも拘わらず、教室移動の四文字はすっかり頭から抜け落ちていた。一時間目開始の本鈴が耳に届いてやっと我に返った私は、盛大に遅刻して入った化学室で賀来さんも含めたクラスメート全員の注目を一手に買ったのだった。

 そんなことがあった後だったから、例の質問は私に小さな騒乱を齎した。
 欲しい物は無尽蔵にある。
 唯一つ、手にすることが出来たらそのほかの欲は消え去ってしまうだろう物も、ある。
 勿論、本当に手に入れたらまた新しい欲望が生まれるのが人間なのだろうけど、そんな話は私にはまだ時期尚早だ。
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