恋のはじまりは世界のおわり。呟いたら、なにそれって顔をされた。
「ネガティブ!」
理奈は眉を寄せて私の仏頂面を覗き込む。無邪気な瞳が憎い。
「だいたい寧子は消極的すぎるんだよ。アタックしなきゃ可能性すらないじゃん」
「できないんだもん」
「できるできないじゃないの」幼い子供に語り掛けるように。「やるかやらないかなの」
じゃあ、と私は理奈を肩から押し倒し無理やりキスをした。凍り付いた表情を愉快さをもって見下ろす。
――なんてことをする勇気があれば、それはそれで楽なのかもしれない。
いつも、思うだけ。
ぼんやりと宙を見つめていると理奈は激励の言葉を浴びせかけてきた。板挟みにされる私。
「私は応援するからさ……とりあえず、誰が好きなのか教えて?」
同類の友達だっているしその気になれば出会い系にでもビアンバーにでも繰り出せる。なのに好きになるのはことごとく、望みのない相手なのだ。
「やだ」
恋なんてしたくない。わざわざ苦しみたくない。でも理奈の言い回しを借りるなら、したいしたくないじゃなくて、なるならないの話なんだろう。
誰が考えたのか知らないけど、恋に「落ちる」って表現は皮肉なまでにぴったりだ。戻れない抗えない逆らえない。もしかして、と気づいた瞬間にはもう遅い。
「……いじわる」
あなたがいるのに幸せじゃない。あなたがいるから幸せじゃない。世界の終わりへ続く道を、あやうい足取りで歩いてく。
失恋したんだって。わあわあ大声を上げて泣いている。わたしの制服のシャツに染みを作りながら。背中に爪を立てながら。
「死にたい……」
言われても、困る。こっちまで悲しくなる。みゆきはひとにやるせなさを与えるのがとても上手だ。その迷惑な特技のせいでわたしがどれだけ苦労したか、……思い出すだけでそれこそ、死にたくなる。
わたしはいいひとになれなかった。みゆきが幸せ絶頂だったそのとき、この世のすべてを憎むかのように眉をひそめて舌打ちをしていたのである。そしていま。
体温に肌の柔らかさ、汗と涙のにおい、セーラーから伸びる太腿、か細い声。ひとつだけ、足りない。――五感に。
あ、と気付いた瞬間にはもう遅い。身体の底からじわじわと込み上げてくるものは、みゆきの髪を撫でる手に緊張をはしらせた。みゆきの腰に腕をまわしてぐっと引き寄せる。驚くほど細い。いいように解釈してくれたのだろう、みゆきはいっそう声を張り上げた。
唾を飲み込む。舌が、疼いていた。頬に指を滑らせると、みゆきの表情はわかりやすくはりつめる。
幸福と不幸が交差した日。あなたはきっといつまでも覚えている。
携帯が鳴った。着信音を使い分けるとかめんどうなことはしていないけど、なんとなく誰からかは察しがつく。
「……」サブディスプレイの文字が正解と言っていた。「もしもし?」
『あけましておめでとう。なに、いまの間』
いやべつに。答えにまた声が被さる。
『年末年始って一緒にいたことないよねえ』
「まあ、基本家族と過ごす日だし」
『そっか! まだわたしたち中3だもんね』
「え、どういう意味?」
あたしの質問はいたって自然にスルーされた。紅白の票差がどうの初詣の混み具合が気になるだの他愛ないことをしばらく話して、最後に
『じゃ、英語の勉強がんばろーね』
「英語限定?」
『将来隣で年を越すためよ』
とあいつらしい回りくどさで、新年いっかいめのひととの会話が終わる。
ラジオ放送大学のオランダ語口座番組を聴いて寝た。
*12歳
10km以上の道のりを、飽かずふたりで歩いていた。荒川の堤防を上流に向かって。午後2時を過ぎたころ、あなたは河原の茂みに腰を下ろす。桜の綻びはじめ、肌寒い日だった。
どういう流れだっただろう、あなたの口から恋愛ということばが出たのは。もしあなたが「みんなは一人のために」と言い出せば、わたしはひねくれた自分を殺してその主張を讃えただろう。どんな陳腐さも、あなたという圧倒には負けた。
「恋バナとか好きだよね、みんな」
みんなとは小学校を卒業したばかりだった自分達のクラスメイトであり、友人達である。まわりばかりが気になってしょうがなかった。埋没することに安心感を持つなんて臆病だ、いまならそう一蹴できるけど。
「好きな人、いないの?」
「いない」とあなたは即答する。「いたとしても絶対に言わない」
いつもいつもこの応酬だった。笑顔をふりまいて「みんな」に好かれるあなたが時々露にする頑なさに、わたしはつよく打ちのめされたものだ。
「好きな人、いないの?」
「いても言わない」
幼稚な反抗に、あなたは笑ったね。それが悔しくて、わたしはなんとかこの屈強なひとを困らせてやりたくなる。
「ねえ。もしも」
「うん」
「もしね、わたしに告白されたらどうする?」
その一瞬で、空気が変わった。明らかににじみ出る戸惑い、泳いだ目。
「えええええ!?」とあなたはすっとんきょうな声を上げて眉を寄せる。「なっ、なにそれ」
「もしもだってば。誤解しないで」
「どうするって言われても……えー……こまるよ」
いや困るっていうかなんていうか、と歯切れ悪くあなたは口ごもりながらちらちらとわたしの顔を窺った。本物の困惑と疑念のこもった目線。自分で仕組んだのに傷ついたわたしはバカだと思う。
「困るかあ。ま、そうだよね」
「いきなりびっくりした」
そこからなんとなく会話が途切れて、わたしたちは川の水音やら緩やかに泳ぐ鴨やらに意識を傾けていた。
告白なんて出来っこなかったわたしの精一杯だったと、後の自分が白々しく分析する。
*13歳
あたらしさは古さを切り捨てることで成り立つ。
中学生になったわたしたちの時間軸は、ずれた。「わたしたち」なんて一人称を使うことはもう憚られるくらいに。違う列に並んだり廊下で見かけるあなたの姿を、だけどわたしの瞳は逃さない。なによりの幸せだったあなたの笑みは、わたしの精神に痛みを残した。
あなたを独り占めにできる時間は一瞬たりともない。5月の光の下、わたしは手紙をしたためた。
「なあに? 話したいことって」
ひとつきの空白を微塵も感じさせない相変わらずのなつっこさにどうしようもなく悲しくなる。
話は1日遊んでから、とわたしはつかの間の楽園に足を踏み入れた。あのときあなたとわたしは確実に「わたしたち」で、その称号に勝ち誇る気分を捨て去れず。
「ね、そろそろ話してよ。もう門限まで一時間だし」
「好きな人がいるの」
間髪入れずに言う。あなたはしばし沈黙してから、手を叩いて言った。
「そういう話かなと思ったんだ! いいことじゃん」
喜ばないで、そんなに楽しそうに。悲痛な叫びは形にならない。それで、とあなたははしゃいだ。
「だれ?」
「あててみて」
「えー? そう来るか!」
うーん、と唸りあなたは次々と同窓生の名前を口にした。いっこうにアタリとしないわたしに焦れ、もうっ、とおこって見せる。
「わかんないよ! せめてヒント!」
「……うーん、じゃあ、6年のとき同じクラスだった」
「お! だいぶ絞れるね」
そう、だいぶ絞れたのであなたは「数打ちゃ当たる」作戦に出た。出席番号順に挙げていく。男子、を。最後の「渡會くん!」にバツ印を作ると、怪訝な表情をした。
「なんでなんでなんで? 全員言ったよね?」
「ううん」これでもわたしはこの日、告白を試みていたのだ。「言ってない、見落としてる」
「うそ!?」
それならともう一巡しても同じこと。さすがに不自然に思ったらしいあなたは黙り込んだ。と、突然に目を見開く。おそるおそるといったふうに口を開いた。
「まさかレズとか? じゃ、ないよね?」
あくまでも茶化した口調。
「なんでそうなるの」
わたしも大いに笑った。
結局正解は出ず、わたしがあなたを家まで送りその日は閉じた。つぎに遊ぶときには教えてね、と無邪気に。つぎがないことを、想像していなかったなんて言わせない。
肯定も否定もしなかったあの回答に、あなたは真実を見たでしょう。家に、帰ってから思い巡らせて。
*14歳
わたしの少し下に、あなたの名前はあった。クラス替えの結果にわたしは固唾をのむ。
思いを打ち明けることを成し遂げられなかった、だけど間接的に達せられてしまったあの日から、あなたは徐々に、だけど確かにわたしから退いた。違っていた友人の層とか部活とかがそうさせた部分も大きいけど。
同じ教室に、あなたがいる。小学生のときみたいに至近距離でわらいあうことはできなくても。実際その年わたしとあなたは数えるほどしかことばを交わさなかったのだ。親友の位置は、「みんな」にとってかわられていた。
ある日、あなたの教科書が間違ってわたしのロッカーに入れられている。わたしは教室内には見当たらないあなたをさがし、ようやく廊下の真ん中でそれを渡した。
「これ、わたしのとこにあって」
「あ」
あなたは露骨に困った顔で、わたしの手元を見る。心臓がどきどきと高鳴っていた。悪い方の、予感で。
「どうもありがとうございますっ」
よそよそしく、早口にそう言うと、あなたはひったくるように教科書を取り上げる。
別になにも期待しちゃいなかった。だけど、目を合わせるくらいのこと、望んでもよかったじゃない。
自分が完全にあなたの視野の外だとわかって、わたしは自棄気味になった。クラス内で浮かべていた愛想は手放す。あなたに関わらないように、した。自分からそうしているんだと、虚しい思い込みに身を投げて。
「あたし2班だ」
12月。席替えがあった。そうっとクジを覗き込むと、雑な「2」の文字。頭が真っ白になる。奥の方でほんの僅か嬉しく感じる程度には、愚かだった。
「よろしくね」
「うん、よろしく」
厚い壁、他人行儀なやりとり。あなたは前の班の子と楽しそうなおしゃべりに興じるばかりで、こちらにはもどってこない。
涙が、出た。ノスタルジーに浸ってわたしは思い馳せる。毎日毎日どうでもいいことで盛り上がれたかつての距離感。無思慮な言動であなたを泣かせてしまったこともあった。後悔よりも、それだけ近かったんだ、と過去を羨望の眼差しでもって眺める。
1週間どころか3日経たないうちに、視力が落ちたとかなんとかいって班を移動した。わたしと席を交換した子に、あなたはきらきらと喜んでいた。
*15歳
わたしはもはや恋などしていなかった。立ち直ろう、あなたのことを忘れよう、と。
さいごに話したのがいつか、思い出せない。修学旅行の夜、トランプの罰ゲームとしてキスの真似事をし合う女の子たちに、いやに諦観した視線を向けたりして。
「なんかさ、怪しいよね」
「わたし? なんで?」
「カメラの構え方とかさあ、……なんか凄まじい念を感じる」
冗談半分で言われたことは、あるいは本当だったのかも。あなたの隣にいた日々をかたちに残せなかった後悔みたいなものが、わたしのデジカメにクラスメイトの写真を増やしていった……の、かも。
桜は3年前と同じようにその花を開いている。たくさんの「輝かしい思い出」を胸に、「わたしたち」は義務教育を終えた。あなたがどこの高校に進学するのか、わたしは知らない。あなたのほうには伝わっているのだろうか。伝わっていればいいなと思うあたり、脱出しきれていない。
自己完結した、それはそれは幼い気持ちだった。あなたがわたしをどう見てるか推測できないし、したいとも感じないのだ。
12歳がピークだったわたしの恋心は、針穴ほど、いや針先ほどの余韻を残すのみ。嫉妬、悔しさ、怒り、独占欲、劣情……醜い感情でいっぱいになったことも、心臓を貫くような痛みに耐えたこともあった。
時間は偉大だ。
感傷も熱情も薄れさせる。一生あなたにとらわれ続けると、本気で信じていたのに。ありがとう、と、いまでは思う。愛する気持ちといくつかの真理を、教えてくれた人。
あの日上った堤防に再び足を運ぶ、なんてことはしない。街に自転車を走らせ薄紅の光景に感動しつつ、ちょっと微笑んだ。3年と数ヶ月滞っていた想いが、春の暖かい空気にするすると溶け出していく。
変わることが、未来には必要だ。入学式である明日に備え、早くから床につく。不意に愛しかったひとの名前が頭を掠め、自分に酔って数秒、泣いた。もう、「好きな人」じゃないけど。未練なんて、これっぽっちもなくても。
特別なひと。
ただ幸せを、願う。
あなたがどこかで生きてる限り、立っていられる気がするよ。
10km以上の道のりを、飽かずふたりで歩いていた。荒川の堤防を上流に向かって。午後2時を過ぎたころ、あなたは河原の茂みに腰を下ろす。桜の綻びはじめ、肌寒い日だった。
どういう流れだっただろう、あなたの口から恋愛ということばが出たのは。もしあなたが「みんなは一人のために」と言い出せば、わたしはひねくれた自分を殺してその主張を讃えただろう。どんな陳腐さも、あなたという圧倒には負けた。
「恋バナとか好きだよね、みんな」
みんなとは小学校を卒業したばかりだった自分達のクラスメイトであり、友人達である。まわりばかりが気になってしょうがなかった。埋没することに安心感を持つなんて臆病だ、いまならそう一蹴できるけど。
「好きな人、いないの?」
「いない」とあなたは即答する。「いたとしても絶対に言わない」
いつもいつもこの応酬だった。笑顔をふりまいて「みんな」に好かれるあなたが時々露にする頑なさに、わたしはつよく打ちのめされたものだ。
「好きな人、いないの?」
「いても言わない」
幼稚な反抗に、あなたは笑ったね。それが悔しくて、わたしはなんとかこの屈強なひとを困らせてやりたくなる。
「ねえ。もしも」
「うん」
「もしね、わたしに告白されたらどうする?」
その一瞬で、空気が変わった。明らかににじみ出る戸惑い、泳いだ目。
「えええええ!?」とあなたはすっとんきょうな声を上げて眉を寄せる。「なっ、なにそれ」
「もしもだってば。誤解しないで」
「どうするって言われても……えー……こまるよ」
いや困るっていうかなんていうか、と歯切れ悪くあなたは口ごもりながらちらちらとわたしの顔を窺った。本物の困惑と疑念のこもった目線。自分で仕組んだのに傷ついたわたしはバカだと思う。
「困るかあ。ま、そうだよね」
「いきなりびっくりした」
そこからなんとなく会話が途切れて、わたしたちは川の水音やら緩やかに泳ぐ鴨やらに意識を傾けていた。
告白なんて出来っこなかったわたしの精一杯だったと、後の自分が白々しく分析する。
*13歳
あたらしさは古さを切り捨てることで成り立つ。
中学生になったわたしたちの時間軸は、ずれた。「わたしたち」なんて一人称を使うことはもう憚られるくらいに。違う列に並んだり廊下で見かけるあなたの姿を、だけどわたしの瞳は逃さない。なによりの幸せだったあなたの笑みは、わたしの精神に痛みを残した。
あなたを独り占めにできる時間は一瞬たりともない。5月の光の下、わたしは手紙をしたためた。
「なあに? 話したいことって」
ひとつきの空白を微塵も感じさせない相変わらずのなつっこさにどうしようもなく悲しくなる。
話は1日遊んでから、とわたしはつかの間の楽園に足を踏み入れた。あのときあなたとわたしは確実に「わたしたち」で、その称号に勝ち誇る気分を捨て去れず。
「ね、そろそろ話してよ。もう門限まで一時間だし」
「好きな人がいるの」
間髪入れずに言う。あなたはしばし沈黙してから、手を叩いて言った。
「そういう話かなと思ったんだ! いいことじゃん」
喜ばないで、そんなに楽しそうに。悲痛な叫びは形にならない。それで、とあなたははしゃいだ。
「だれ?」
「あててみて」
「えー? そう来るか!」
うーん、と唸りあなたは次々と同窓生の名前を口にした。いっこうにアタリとしないわたしに焦れ、もうっ、とおこって見せる。
「わかんないよ! せめてヒント!」
「……うーん、じゃあ、6年のとき同じクラスだった」
「お! だいぶ絞れるね」
そう、だいぶ絞れたのであなたは「数打ちゃ当たる」作戦に出た。出席番号順に挙げていく。男子、を。最後の「渡會くん!」にバツ印を作ると、怪訝な表情をした。
「なんでなんでなんで? 全員言ったよね?」
「ううん」これでもわたしはこの日、告白を試みていたのだ。「言ってない、見落としてる」
「うそ!?」
それならともう一巡しても同じこと。さすがに不自然に思ったらしいあなたは黙り込んだ。と、突然に目を見開く。おそるおそるといったふうに口を開いた。
「まさかレズとか? じゃ、ないよね?」
あくまでも茶化した口調。
「なんでそうなるの」
わたしも大いに笑った。
結局正解は出ず、わたしがあなたを家まで送りその日は閉じた。つぎに遊ぶときには教えてね、と無邪気に。つぎがないことを、想像していなかったなんて言わせない。
肯定も否定もしなかったあの回答に、あなたは真実を見たでしょう。家に、帰ってから思い巡らせて。
*14歳
わたしの少し下に、あなたの名前はあった。クラス替えの結果にわたしは固唾をのむ。
思いを打ち明けることを成し遂げられなかった、だけど間接的に達せられてしまったあの日から、あなたは徐々に、だけど確かにわたしから退いた。違っていた友人の層とか部活とかがそうさせた部分も大きいけど。
同じ教室に、あなたがいる。小学生のときみたいに至近距離でわらいあうことはできなくても。実際その年わたしとあなたは数えるほどしかことばを交わさなかったのだ。親友の位置は、「みんな」にとってかわられていた。
ある日、あなたの教科書が間違ってわたしのロッカーに入れられている。わたしは教室内には見当たらないあなたをさがし、ようやく廊下の真ん中でそれを渡した。
「これ、わたしのとこにあって」
「あ」
あなたは露骨に困った顔で、わたしの手元を見る。心臓がどきどきと高鳴っていた。悪い方の、予感で。
「どうもありがとうございますっ」
よそよそしく、早口にそう言うと、あなたはひったくるように教科書を取り上げる。
別になにも期待しちゃいなかった。だけど、目を合わせるくらいのこと、望んでもよかったじゃない。
自分が完全にあなたの視野の外だとわかって、わたしは自棄気味になった。クラス内で浮かべていた愛想は手放す。あなたに関わらないように、した。自分からそうしているんだと、虚しい思い込みに身を投げて。
「あたし2班だ」
12月。席替えがあった。そうっとクジを覗き込むと、雑な「2」の文字。頭が真っ白になる。奥の方でほんの僅か嬉しく感じる程度には、愚かだった。
「よろしくね」
「うん、よろしく」
厚い壁、他人行儀なやりとり。あなたは前の班の子と楽しそうなおしゃべりに興じるばかりで、こちらにはもどってこない。
涙が、出た。ノスタルジーに浸ってわたしは思い馳せる。毎日毎日どうでもいいことで盛り上がれたかつての距離感。無思慮な言動であなたを泣かせてしまったこともあった。後悔よりも、それだけ近かったんだ、と過去を羨望の眼差しでもって眺める。
1週間どころか3日経たないうちに、視力が落ちたとかなんとかいって班を移動した。わたしと席を交換した子に、あなたはきらきらと喜んでいた。
*15歳
わたしはもはや恋などしていなかった。立ち直ろう、あなたのことを忘れよう、と。
さいごに話したのがいつか、思い出せない。修学旅行の夜、トランプの罰ゲームとしてキスの真似事をし合う女の子たちに、いやに諦観した視線を向けたりして。
「なんかさ、怪しいよね」
「わたし? なんで?」
「カメラの構え方とかさあ、……なんか凄まじい念を感じる」
冗談半分で言われたことは、あるいは本当だったのかも。あなたの隣にいた日々をかたちに残せなかった後悔みたいなものが、わたしのデジカメにクラスメイトの写真を増やしていった……の、かも。
桜は3年前と同じようにその花を開いている。たくさんの「輝かしい思い出」を胸に、「わたしたち」は義務教育を終えた。あなたがどこの高校に進学するのか、わたしは知らない。あなたのほうには伝わっているのだろうか。伝わっていればいいなと思うあたり、脱出しきれていない。
自己完結した、それはそれは幼い気持ちだった。あなたがわたしをどう見てるか推測できないし、したいとも感じないのだ。
12歳がピークだったわたしの恋心は、針穴ほど、いや針先ほどの余韻を残すのみ。嫉妬、悔しさ、怒り、独占欲、劣情……醜い感情でいっぱいになったことも、心臓を貫くような痛みに耐えたこともあった。
時間は偉大だ。
感傷も熱情も薄れさせる。一生あなたにとらわれ続けると、本気で信じていたのに。ありがとう、と、いまでは思う。愛する気持ちといくつかの真理を、教えてくれた人。
あの日上った堤防に再び足を運ぶ、なんてことはしない。街に自転車を走らせ薄紅の光景に感動しつつ、ちょっと微笑んだ。3年と数ヶ月滞っていた想いが、春の暖かい空気にするすると溶け出していく。
変わることが、未来には必要だ。入学式である明日に備え、早くから床につく。不意に愛しかったひとの名前が頭を掠め、自分に酔って数秒、泣いた。もう、「好きな人」じゃないけど。未練なんて、これっぽっちもなくても。
特別なひと。
ただ幸せを、願う。
あなたがどこかで生きてる限り、立っていられる気がするよ。